三十代の自尊心は地面に埋まっている。

谷底から這い上がる予定はある…が、今日はまだ寝てる。

三十代の自尊心は地面に埋まっている。

谷底から這い上がる予定はある。
ただし今日は、まだ寝てる。

🕳️
ようこそ谷底へ
今日もなんとか生存中。
いそいそと自尊心の発掘作業に勤しんでいます。

【谷底】谷底は終点じゃない、始発だ。【立ち止まった日のためのブログ】

 

 

このブログは、
元気な人のための場所ではありません。
何かを決めたい人や、
答えを探している人のためでもありません。

 

うまく言えない違和感を抱えたまま、
一日を終えてしまった人。
そんな人が、そのまま布団に入る前に
ふと立ち寄る場所として書いています。

 

仕事のこと、心のこと、生活のこと。
うまくいかない日が続くと、
何がつらいのかも分からなくなることがあります。
ここでは、
立て直さなくてもいいし、
前向きにならなくてもいい。

 

 

ただ、止まっている時間を
「なかったこと」にしないために。

 

 

■01:谷底は立ち止まる場所であって、閉じ込められる場所じゃない

 

「谷底」という言葉は、たぶん多くの人にとって
落ちたら終わりの場所に聞こえる。
でも私にとっては違う。

 

谷底は、動けなくなった人が
一度すべてを止めて、体勢を立て直すための場所だ。

 

無理に登らなくていい。
今すぐ前を向かなくてもいい。
ただ、「まだ生きている」だけで許される空間。

 

このブログは、他のブログと違って
元気が出る話も、成功のコツも、
劇的に人生が変わる物語も、あまり出てこない。

 

その代わりにあるのは、

・うまくいかなかった日の話
・疲れているけど、どこか笑える日
・弱いまま終わった一日の記録
このブログは、そんな一日の延長線上にある。

 

このブログが目指しているのは「今すぐ立ち直る場所」ではない。

 

少し、休んでいます。

 


■02:背中を押さないという選択

 

世の中には、背中を押す言葉が溢れている。

 

「大丈夫」
「きっと良くなる」
「頑張れば現状打破できる」
「あしたやろうは馬鹿野郎」
「笑顔でいればなんとかなる」
「自分を愛して」

 

確かにそれらの言葉を必要とする人もいる。
でも、そういう言葉を受け取れない日も、確かにある。

 

谷底にいるときって、背中を押されると、ちょっと怖い。
前に進めない自分を「ダメだ」と再認識させられることもある。

 

でもこのブログは、
立ち上がれない一日にまで手を伸ばして、
無理に引っ張り上げる場所ではない。

 

立ち止まったままでも、
座り込んだままでも、
「ここに居ていい」と思える場所でありたい。

 

だからこのブログでは、背中を押さない。
隣に座って、「今日はここまでだったね」と言うくらいの距離感でいたい。

 

 


■03:谷底は、休んでいい始発

 

初投稿の自己紹介の記事で、私は
「谷底は終点じゃなく、始発だ」と書いた。
今もその考えは変わっていない。

 

ただしこの始発は、いつ出発してもいい始発だ。
発車時刻は、今はまだ決めなくていい。
出発を急がせない。
今日は、座ったままでいい。

 

発車ベルは、まだ鳴っていない。

 

混同されがちだが、休むことと、止まることは同じではない。
休んでいる間も、人生はちゃんと続いている。
止まっているように見える時間も、ちゃんと「進む準備」になっている。

 

*最後に自己紹介リンク貼っておきますので、そちらも是非ご覧ください。
 

■04:心理カウンセラーとしての視点について(少しだけ)

 

私は心理カウンセリングを学んでいる。
けれど、ここで誰かを分析したり、答えを提示するつもりはない。

 

このブログで使う「カウンセラー的視点」は、
うまく説明できないモヤモヤに、
「こう感じているのかもしれないね」と言葉を置いてみること。

 

すぐに結論を出さなくても、
人はちゃんと今日を終えられる。
そんな前提を、ここでは大切にしている。

 

このブログは専門家として正解を示す場所ではなく、
揺れている側の人間が、揺れを言葉にする場所でありたい。

 


■05:弱さを“直す対象”にしない

このブログでは、
弱さを克服するものとして扱わない。

 

落ち込む夜も、
何もしたくない日も、
自分を好きになれない時間も、「ある前提」で書いている。

 

弱さは欠陥じゃなくて、その人の生活の一部だ。
無理に前向きに変換しなくていいし、意味づけもしなくていい。

 

そのまま置いておいていい。

 


■06:今日も、生き延びている人たちへ

明日が晴れるかどうかはわからないけれど 雨が上がる瞬間も、たまにはある

 

谷底という言葉は、
絶望の比喩として使われがちだけど、
ここでは少し違う意味で使っている。
走るのをやめて、
しゃがみこんで、
深呼吸するための場所だ。

 

進めなくてもいい。
回復していなくてもいい。
今日を終えられたなら、それだけで十分だ。

 

呼吸して、夜を越えたなら、それはちゃんと
「生き延びている」ということ。

 

私はこの場所が必ずしも、
あなたにとっての「何か」を変える場所でなくてもいい。

 

ただ、「ここに来ても責められない」
そんな場所として、ここに在り続けたい。

 

 


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