■01:説明できなかった自分
前回、心が壊れる直前の私に、起きていたことを書いた。
問題だったのは、
当初はそれを「限界」だとも「異常」だとも思っていなかったことだった。
ただ、うまくできない自分を、
うまく隠しているつもりで生きていた。
なぜ同じところで何度も躓くのか。
なぜ人より疲れやすいのか。
なぜ平気な顔ができてしまうのか。
理由が分からないまま、
思考を止めるために『私が弱いから』と結論づけていた。
理由が分からない不安より、
理由を知ってしまう恐怖のほうが勝っていたのかもしれない。

■02:全部、自分のせいにしていた頃
気にしすぎる。
疲れやすい。
人の感情に振り回される。
距離が近づくほど、息が苦しくなる。
期待されるほど、動けなくなる。
それは全部、
性格の問題。努力不足。根性が足りない。
そう言い切ってしまえば、これ以上考えなくて済む。
自分を責めるのは、楽になるためではなく、
思考を止めるための、一番手っ取り早い説明だった。
当時の私は、それを自分と
「ちゃんと向き合っている状態」だと勘違いしていた。

■03:反省しても、楽にならなかった
おかしいとは、薄々思っていた。
反省しているのに、楽にならない。
改善しようとするたび、同じ場所が削れていく。
「次は大丈夫」と言うほど、しんどくなる。
頑張っている感覚だけが増えて、
前に進んでいる実感はなかった。
心が弱いから壊れたんじゃない。
壊れかけている状態で、
ずっと自分を叱り続けていただけだった。
私は無自覚に毎日毎日、自分へ拳を振り上げていた。

■04:あとから知った「名前」
私は休職して、
無気力状態の中で、ふと「自分」を知ろうと思った。
その中で、いくつかの言葉を知った。
正直、最初は戸惑った。
自分の無意識な振る舞いが、
「名前」として回収されていく感覚が怖かった。
でも同時に、
行動の一つ一つには
「理由があるかもしれない」と思えた。
それは救いというよりも、
自分へ振りかぶった拳を一度、
下ろしてもいい理由を見つけた感覚に近かった。

止まれなかったのは、怠けていたからじゃない。
過敏だったのは、面倒な人間だからじゃない。
常に見捨てられる不安を抱えるのも、欠陥じゃない。
そう反応してしまう
癖や構造が、確かに「名前」として存在していた。
それを知らないまま、
私はずっと自分を殴っていた。
私は、全てが完全に壊れていたのではなく、
壊れていると思い込んでいた部分があるのかもしれない。
そう考えられた瞬間、
過去の自分を見る目が、少しだけ変わった。
■05:自分を責める理由が減った日
治ったわけじゃない。
楽になったわけでもない。
ただ、
「私が”全て”悪い」という説明を
使わなくてよくなった。
それだけで、
世界の見え方がわずかに変わった。
今、私は”あの頃の自分”
を理解したくて、心理学を学んでいる。

私自身を証明したいだけというわけでも、
誰かを導きたいわけでもない。
理由も分からないまま
自分を責め続けていた過去の私を、
これ以上、置き去りにしたくなかった。
私のように「名前」を知らなかっただけで
自分を誤解し続けている人は多いと思う。
もしこの記事が、
「もしかして、自分を責めなくていい部分があるのかも」
そう思うきっかけになったなら、
それだけで、今日という一日が少しだけ救われた気がする。
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