
補足:友は可愛すぎる保護猫3匹と暮らしている。
人と人の出会いは、
最初から意味を持っているものばかりじゃない。
あとから振り返って、
ようやくを持ち始めるものもある。
彼女との出会いは、
たぶん、そうやって後から形を変えたものだった。
共通の友人を介して知り合った。
私はまだ若くて、どこか荒れていて、
人生なんて深く考えていなかった頃の話だ。
彼女は、地元ではちょっと知られた存在だった。
彼女も、私と同じように荒れていた。
当時の私たちは、お互いの未来なんて見ていなかったし、
若く結婚して、子どもを産んで、
それくらいの想像力しか持っていなかった。
最初は浅い関係だった。
特別でもない、普通の出会いだった。
■01:大人になってから、再び
大人になってから、
なぜかひょんな流れで、二人きりで会うことになった。
それが、すべての始まりだった。
何をしたわけでもない。
ただ4時間、お互いに今までの人生を埋め合うように話し続けた。
家は車で10分もかからない距離。
それなのに、お互い仕事もあって、
大事なペット達のお世話もあって、
妻としての役割もあった。
そんな中、予定を合わせようとすると、平気で2か月先になる。
それでも、どうにか調整して、
私たちは定期的に二人で会うようになった。
毎回特別な話をしていたわけじゃない。
でも、なぜか居心地がよかった。
そんな彼女に
私が「うつだ」と打ち明けたのは、
突然、泣きながらの電話だった。
病院で診断を受け、旦那にLINEをし
車で家に帰りついてエンジンを切った途端
なぜか涙が溢れた。
一人が耐えられなくなり
私はなぜか彼女に「電話出来ないか」とLINEをした。
彼女と電話が繋がると
私は取り繕う余裕もなく、
言葉も整っていなくて、
ただ、溢れるものをそのまま吐き出した。
彼女は驚いていたと思う。
でも、すぐに理解しようとしてくれた。
言葉を慎重に選びながら、
一時間以上、何も遮らずに聞いてくれた。

ただ時間を割いて私の為に話を聞いてくれた。
その事実だけが、
今も私の中に残っている。
■02:同じ場所へ、落ちていった
それから、ほんの一か月後。
朝、突然彼女からLINEが来た。
「私も、おかしいかもしれない」

その日のうちに彼女も病院を受診し、
私と同じ状態だと診断された。
医師からは、
仕事を続けるべきではないと言われたらしい。
私なりに必死に止めたが
それでも彼女は、「仕事には行く」と言っていた。
行くと、決めていた。
そして、いつも通りに振る舞おうとしていた。
強い責任感。
それが彼女の長所であると同時に
彼女の首を絞めているものだった。
そして、週明け。
彼女は仕事に行けなかった。
私は、自分を責めている彼女が
ただただ心配だった。
人生で一番長いLINEを送った。

独りで抱え込まず、私に伝えてくれて
安心したと同時に、
「私が引きずり込んだんじゃないか」
そんな考えが、頭から離れなかった。
因果関係なんて、分からない。
でも、私が最初に電話して吐露した苦しさの中に、
彼女自身の感覚と重なるものがあったと聞いたとき、
胸の奥が、チクリと痛んだ。
■03:同じ深さに、並んでいた時間
それからしばらく、私たちは驚くほどアクティブに遊んだ。
遠出もした。
毎日、疲れ切るまで外に出た。
楽しかった、すべてを忘れて笑えていた。
家に帰ると一気に疲れは出たけれど、
それでも「楽しかったからよかった」と思えた。
こもりきりになることを、どうにか回避できていたのだと思う。
動いていないと、たぶん、どちらかが崩れていた。
やがて、二人とも同時に落ちた。
会話は特段、減ることはなかったが
もし減ったとしても、あの時の私達に言葉はいらなかった。
沈黙も、気まずくなかった。
彼女とだから、楽だった。
落ちている期間は
私の家で各々昼寝をしたり
家事を見守ってもらったり

どちらかが外出先で
動悸などで動けなくなれば、もう一人が駆けつけた。

この時彼女は駆けつけた私と
車内でオセロのアプリを対戦し、白熱して動悸が収まった。
集中できるものが、救いになることもある。
そのように
「支え合った」というより、
ただ、同じ深さにいただけ、その言葉がしっくりくる。
■04:彼女が、進み始めた日
そんな時間の中で、彼女は少しずつ、別の方向を見始めた。
サロンをやりたい、と言った。
彼女は耳つぼジュエリーやよもぎ蒸しを学び資格を取得した。
サロンをやりたい、と聞いたとき、
「すごいな」「応援したいな」と素直に思った。
その奥に、
ほんの少しだけ、置いていかれる怖さもあった。
自分には無理だ。
そんなこと、できる気がしない。
そう思っていた。
こうして彼女の自宅サロンを開業するために
大掛かりなDIYが始まった。
主戦力は彼女と私の落ちた女二人。
進む日もあればやる気が出ず、あまり進まない日など
進捗はまちまちだったがDIYは地道に進んでいった。

家具を入れ替えるために解体したり、
床や壁紙を剥がして、
養生してペンキを塗って、
久しぶりに、
「役に立っている」という感覚があった。
気づけば、私の方が楽しんでいる瞬間もあった。
いつもは真面目にやっているのに、
よりによって彼女の旦那さんが、
仕事の合間に差し入れを持ってきてくれるときだけ
なぜか毎回私達はサボっていて、必死に言い訳をした。
そして二人になった途端、笑いあった。
あの時間は、
何者でもなくなった私に、
暗闇の中で足場をひとつ置いてくれていた。
そんな感覚だった。
私はその後、店名やデザインを考えて、
ロゴやメニュー、POPを作った。
グラフィックを作る時間が妙に楽しかった。
「手伝い」と言うには、かなり深く関わったと思う。
でもその時間がどこか自分の将来の為になる気がしていた。
■05:進む人と、座ったままの私
彼女のサロンは無事にオープンを迎えた。
予約は徐々に入るようになり、
リピーターのお客様もいて、
彼女はまだまだこれからだ。という様子だが
私から見ると、かなり順調な滑り出しだと思う。
開業して間もないが、
積極的にマルシェにも出店し、
彼女の世界は少しずつ広がっていっていた。
嬉しかった。
本当に、嬉しかった。
しかし同時に焦る気持ちも増えていった。
彼女は進んでいる。
でも私は、まだここに座っている。
置いていかれた、というより、
「自分だけが何も始められていない」という感覚だった。
嫉妬とは違う。
憧れと、尊敬と、安堵と、焦りが混ざった感情。
そんな中で、私は気づいた。
グラフィックを考えている時間が、楽しかったこと。
集中しているとき、久しぶりに「自分がここにいる」と感じられたこと。

彼女の起業をきっかけに私も
グラフィックデザイナーやWEBデザイナー、
オンライン心理カウンセラーという働き方を知り、
フリーランスという選択肢が、ぼんやりと輪郭を持ち始めた。
まだ、決意なんて言えない。
今も私は谷底にいる。
まだ立ち上がってもいない。
それでも、あの時間がなければ、
私は「作ることが楽しい」という感覚を
思い出せていなかったと思う。
あの時間は何もなかった時間ではなかった。
同じ場所に座っていた日々の中で、
確かに、私は彼女から何かを受け取っていた。
■06:友が、そこにいたということ
あの時間がなければ、
今の私は、たぶん、違う場所にいたと思う。
一緒に落ちて、
同じ深さに沈んで、
同じ場所で、何もできずに座っていた日々。
何かを「してあげた」「してもらった」
そんな言葉では、たぶん足りない。
ただ、黙って隣にいられたこと。
それだけで、お互いに救われていたのかもしれない。
彼女が少しずつ動き始めたとき、
私は、喜びと同時に
その一方で、
自分だけが取り残されているような感覚も、
確かにあった。
それでも私は、
その背中を見て初めて知った。
「進む」という形は、ひとつじゃないこと。
「何者かになる」道は、
思っていたより、ずっと遠回りでいいこと。
何も生み出していない時間を、
「それでもいい時間」として一緒に過ごせたこと。
それだけで、
私は何度も救われていたのだと思う。
名前をつけるほど大げさな関係じゃない。
運命なんて言葉も、なんだか私達には似合わない。
それでも確かに、
私には「あの時期」を一緒に生きてくれた人がいた。

その事実があるだけで、
私はこの谷底にいる時間を、少しだけ肯定できるようになった。
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